「例会」にご参加いただき、感想をお寄せください。
ロータリーに関する資料を集めてみました。参考にしてください。
ロータリー資料室ロータリークラブは原則一人一業種で選ばれた良質の職業人が、毎週一回定例の会合に集い、例会を通じて奉仕の心を育み、自らの職業倫理を高め、その心を持って職場や地域社会・国際社会で奉仕活動の実践をすることにあります。
16-17年度RIテーマ | 人類に奉仕するロータリー |
16-17年度2730地区テーマ | ロータリーを楽しもう! |
新「ロータリーの目的」
ロータリーの目的は、意義ある事業の基礎として奉仕の理念を奨励し、これを育むことにある。具体的には、次の各項を奨励することにある。
1.知り合いを広めることによって奉仕の機会とすること。
2.職業上の高い倫理基準を保ち、役立つ仕事は全て価値あるものと認識し、社会に奉仕する機会としてロータリアン各自の職業を高潔なものにすること。
3.ロータリアン一人一人が、個人として、また事業および社会生活において、日々、奉仕の理念を実践すること。
4.奉仕の理念で結ばれた職業人が、世界的ネットワークを通じて、国際理解、親善、平和を推進すること。
付記
「ロータリーの目的」の4つの項目は、等しく重要な意味を持ち、また同時に行動をおこさなければならないものであるということで、RI理事会の意見が一致した(ロータリー章典26.020)
♪ 奉仕の理想 ♪
奉仕の理想に 集いし友よ
御国に捧げん 我等の生業
望むは世界の 久遠の平和
めぐる歯車 いや輝きて
永久に栄えよ
我等のロータリー ロータリー
♪ それでこそロータリー ♪
どこで会っても やあと言おうよ
見つけた時にゃ おいと呼ぼうよ
遠い時には 手を振り合おうよ
それでこそ ローロー ロータリー
♪ 手に手つないで ♪
手に手つないで つくる友の輪
輪に輪つないで つくる友垣
手に手 輪に輪 ひろがれまわれ
一つ心に おおロータリアン
おおロータリアン
♪ ありがとうロータリー ♪
富士の高嶺みつめて 地に足を踏みしめ
喜びと誇りを胸に 今もこれからも
ありがとうロータリー
出逢えた奇跡 奉仕の理想に向かって
ありがとうロータリー
分かち合うしあわせ
共に歩もう 未来をみつめて
それぞれのなりわいを それぞれの方法で
歩んできた だから今 新しい道がある
ありがとうロータリー
出逢えた奇跡 奉仕の喜びに向かって
ありがとうロータリー
分かち合うしあわせ
共に歩もう 未来をみつめて
ありがとうロータリー
出逢えた奇跡 奉仕の理想に向かって
ありがとうロータリー
分かち合うしあわせ
共に歩もう 未来をみつめて
12月4日(日)に鹿児島市内で開催された「Facebook勉強会」に
西さんと松岡さんが出席されました。
みなさんこんにちは、本日はこのような場で話をさせていただく機会をいただきまして、本当にありがとうございます。ただいま御紹介いただきました、丹野智文です。私は39歳のときに若年性アルツハイマー認知症と診断されました。
現在、妻と娘二人と4人で暮らしています。病気が判明して半年ほどですべてを子供たちに話をしました。それまで話をしていなかった理由は、どのように話をしたらよいのか、ショックで受け入れることができないのではないかと考えていたからです。しかし、入院をしていたので、病気なのは子供たちも知っていましたが、どういう病気なのかは知りませんでした。もちろん一緒に暮らしていますので、記憶が悪くなっていくのは、感じていたかと思います。病気のことを話していなかったのが不安だったのか、ある日、妻に「パパ死ぬの」と聞いていました。心配かけて悪かったなと思い、全てを話しました。その後に若年性認知症をテーマにしたドラマの再放送を見て、下の娘は私の病気が大変だと感じたようです。少しずつですが、理解してくれたことで、今は病気の話をすることも多くなり、一緒に認知症の番組を見ることもできています。アルツハイマーとわかったあと、妻と二人で職場の社長と上司にアルツハイマーと診断されたことを話しました。社長は長く働ける環境を作ってあげるからと話をいただき、会社の理解の元、仕事を続けられ、今は事務の仕事をしています。
元々は営業の仕事をしていましたが、5年ほど前から、人よりも物覚えが悪いなあと感じ、仕事をしっかりとやりたいという思いから、それまでも手帳に予定などを記入していましたが、それだけではだめだと思い、ノートに変更し、仕事の内容を書くようにしました。最初の頃は「佐藤さんTEL」と書いてあれば、どこの佐藤さんにどのような内容で電話をするか解かっていましたが、1年経ち、2年経ち、「佐藤さんTEL」と書いてあっても、どこの佐藤さんに何のことで電話をするのか忘れてしまいました。だんだんノートに細かな内容など、書く量も増えてきました。お客様が来店すると、ほかのスタッフに「お客さんが来たから行ってきな」と対応させると、きょとんとした顔で、「丹野さんのお客様でした」とスタッフが駆け寄ってきたりし、「そこにお客さんが待ってるからあいさつしなさい」と指示されても、どの人が自分のお客様なのかわからなくなったりすることが多くなり、上司から怒られることが増えてきました。怒られるたびに言い訳をするしかできず、時にはうそもつきました。本当におかしいなあ、どうして覚えていられないのだろうと思っていましたが、誰にも相談できずにいました。ある日、毎日顔を合わせているスタッフの名前も出てこなくなり、声を掛けたくても掛けられなくなりました。その時には誰にも言わず、組織図を見て確認し声を掛けました。おかしい、以前とは違う何かを感じ、病院へ行ってみることにしました。病院に行く前日、心配を掛けたくないという思いで、妻へ言おうか言わないか迷っていました。しかし、保険証は妻が持っているし、少しだけ記憶が悪いから、病院へ行ってみるねと話をしたかと思います。妻は驚いていましたが、病院へ行き、ストレスですねと言われれば、自分でも納得し、気持ちが楽になるのではないかと考えていました。
脳神経外科へ行き診断、医師に「大きな病院へ紹介状を書くから、物忘れ外来へ行ってみて」と言われ、わけがわからずにいました。次の日、病院の予約を取るために、仕事を抜けなければならず、初めて上司に記憶が悪く、病院へ行ったことを告げました。大きな病院へ行くと、検査入院をしてくださいと言われ入院、いろいろな検査を受けました。その結果、先生に言われたのは、「アルツハイマーの疑いがあるが、この若さでは見たことがない、大学病院へ行ってくれ」ということでした。大学病院に入院するまでには、数日間空いていたので、仕事にも出て、同僚に記憶が悪いことを相談してみました。返ってきた言葉は、「俺も同じようなことがあるよ、ストレスじゃないの」と言われました。上司にもアルツハイマーかもと告げると、「もし、アルツハイマーだったら大変なことだぞ」と言われ、私の中でアルツハイマー=終わりだと感じました。これからどうなるだろうと不安な気持ちでいっぱいでしたが、それでも私自身こんなに元気だし、アルツハイマーではない、何かほかの軽い病気ではないかと思っていました。そして、数日が経ち、大学病院へ入院、「今まで検査した情報は、一度忘れて一から検査をやり直そう」と先生に言われ、少しだけほっとしたのを覚えています。検査をすると、まるっきり同じ検査ばかり、いやにもなりましたが、これで原因がわかるならと思い、検査を受けました。でも、私の脳裏にはいつでもアルツハイマー=終わりという言葉は消えませんでした。検査が終わり、妻と二人で検査結果を聞きました。いろいろな先生とも話をしてみましたが、「アルツハイマーで間違いありません」と言われ、やはり、皆と同じ物忘れではなかったのだと思ったことを覚えています。その時には、まずは心配を掛けたくないと思い、平然とした顔で話を聞いていました。ふと隣を見ると妻が泣いています。その姿を見て、アルツハイマー=終わりを思い出しました。妻が帰り、一人になると目から涙がこぼれてきました。次の日から進行を遅らせる薬を飲みはじめ、副作用があるからとさらに数日間入院をしました。担当の先生が心配して毎日病室に来てくれました。病気のことについて気になったことを聞くようにしました。この先、寝たきりになるのか、会社や子供にはどのように話をしたら良いかなど、先生は隠さずに全てを話をしてくれたので、安心することができました。日中は病院の人と話をしていたので、病気のことはあまり気にならなかったのですが、病院内で寝ようとすると、病気のことで頭がいっぱいになり、不安で眠れませんでした。その時、アルツハイマーとはどんな病気なのか、もっと知りたいと思い、携帯のインターネットで調べました。「30代、アルツハイマー」と検索、若年性認知症は、進行も早く、何も解からなくなり、寝たきりになるなどの情報しかありませんでした。また、悪い情報ばかりが目につきました。調べれば調べるほど早期絶望だと感じていました。そこで、仙台で治せる病院があるのではないかと期待を込めて「宮城県、アルツハイマー」と検索しました。そこで認知症の人と家族の会があることを知りました。退院後この先どうしたらよいか、仕事を首にならないかなどと、不安でいっぱいだったので、何か国から支援がないかと思い、区役所へ行ってみました。区役所で言われたことは、40歳以下の場合、介護保険が使えないので何もありませんでした。そうか年寄りがなる病気だからしょうがないと思い区役所を出ました。その帰り道、家族の会の事務所へ行ってみました。事務所へ行くとおじさんが、若年のつどいがあるよと教えてくれ、担当者と連絡を取ってくれました。若年か、近い年齢の人もいるのかなと思い、聞いてみたら、若くて60歳と聞き、やっぱりそうか、1回だけ顔を出して、いやなら行かなければいいやという気持ちでした。妻にも若年の家族の会があること、行ってみようかと思っていることなどを相談してみました。すると、「そんなに病状は悪くないから、行ってみるのはまだ早いのでは」と言われ、考えてみましたが、「1回行ってみるね」と言って、家族の会へ足を運びました。行ってみると年配の人ばかり、私がこの場に入っていいのだろうか、場違いではないだろうかと不安がつのりました。しかし、皆がやさしく声を掛けてくれ、話をしてみると皆同じ病気、飲んでいる薬も同じ、なんだか嬉しくなりました。助かった、自分の病気のことも言える、解かってくれる人がここにはいると感じました。それから2、3回と回数を重ねてきても、私が行っても本当に良いのだろうかと心の中で思っていました。でも皆と歌うのが楽しい、皆と会うのが楽しい、だんだん家族の会に参加するのが楽しみになってきました。最初に家族の会に行こうと思った理由が、私の病気が進行して行ったときに、妻が相談できるところがないかなと思ったのと、私自身が行ければ誰かが妻を助けてくれるのではないかと思ったからです。しかし、反対に私自身が助けてもらい、今では楽しんでつどいに参加しています。
その後、笑顔で元気な認知症当事者との出会いにより、10年経っても元気でいられることを知りました。私が選んだのは、認知症を悔やむのではなく、認知症と共に生きるという道です。今回、アルツハイマーにはなりましたが、家族と過ごす時間が増えたこと、家族の会の人々と知り合えたこと、たくさんの人の優しさに触れあえたこと、悪いことばかりではありません。また、家族の会を通して、認知症=終わりではないことに気づきました。病気になって一番つらいことは、病気になったことではなく、妻、子供たち、両親に心配を掛けていることです。妻は気にしないふりをして、明るく接していますが、陰で病気のことについて調べています。両親は、心配で心配でしょうがないのが解ります。本来なら、これからは私も親孝行をしなければならないのに、これから先も心配を掛け続けると思うととてもつらいです。
生活して困ることは、認知症本人だと誰も気づかないことです。初期の認知症の人は、身体障がい者とは違い、見た目には普通の人と何も変わりがないからです。なので、普通に話しを掛けられますし、物事も頼まれます。普通にやろうとしますが、できないこともあり、そうすると全てがいやになってしまいます。
そこで私は病気をオープンにしようと思いました。病気ということをわかってもらうため、サポートしてもらい、支えてくれる人がたくさんいることを知ったからです。しかし、病気をオープンにしようと思うまでには、いろいろと葛藤がありました。まだまだアルツハイマーに偏見を持っている人が多いからです。私自身がオープンにしても良いと思っても、家族に迷惑がかかるのではないか、子供たちがいじめられたりしないかなど考えていました。ある日、両親にそのことを相談したら、「何も悪いことをしているのではないのだから、私たちのことは気にしないで、自分で思うようにオープンにしなさい」と言われました。子供たちにも、オープンにして話を頼まれたらやりたいと思っていることを話をしました。もしかしたら友達に知られるかもしれないよと話をすると、「パパは良いことをしているんだからいいんじゃない」と言ってくれました。私はその言葉でオープンにしようと決めたのです。病気をオープンにすることで、サポートや支援を受けられるようになります。しかし、偏見があるのでオープンにできないと言われる人が多いのも事実です。偏見は自分自身や、家族の心の中にあると思います。実際に偏見の言葉を言われたことがないのに、周りの人から何を言われるのだろう、どのように思われるのだろうと考えてしまうからです。私の場合、病気をオープンにしても、偏見の言葉は少なく、助けてくれる人のほうが多かったので、どんどんオープンにできたのです。
診断されてから薬を飲みはじめ、薬には副作用があると聞いていましたが、私の場合、今まで常に薬を飲んだことがなかったせいか、とてもひどく出ました。アリセプトを飲みはじめ、3ミリグラムから、お腹の調子が悪いようなことが、10ミリグラムに増やしたときには、頭がぼーっとして、3日間ベッドから起き上がることができませんでした。そのあとも脳の働きが活発になって、記憶力が良くなったのが実感されましたが、寝ていても脳が活発に動いているので、常に夢を見ていて、起きた時に夢なのか現実なのか解らなくなり、混乱する日々が続きました。現在でも頭が疲れているので、布団に入るとすぐに眠りにつきますが、ずっと夢を見ています。怖い夢とかではなく、普通に生活している夢なので、何時間でも寝た気がしません。たまに、不安からなのか、道に迷っている夢や、物忘れで失敗している夢を見ます。起きると失敗してしまうのではないかと不安になり、何もしたくなくなります。自分で飲んでみて薬の量を増やすときには、最新の注意が必要だと感じました。
昨年、中学、高校のときの部活の仲間と会う機会がありました。行くまでは皆の顔覚えているかな、昔のこと忘れていないかなと思っていました。仲間に病気のことを知っていてもらいたかったので、アルツハイマーになったことを初めて言いました。笑いながら「次に会うとき皆のこと忘れていたらごめんね」と冗談交じりで言うと、「大丈夫、お前が忘れていても、俺たちが覚えているから」と言ってくれ、「忘れないように定期的にも会おう」とも言ってくれました。それまで自分は皆との仲が切れてしまうのでと心配していましたが、全て吹き飛びました。私が皆のことを忘れても、皆が覚えていてくれる、それでいいじゃないかと思ったからです。これから多くの人の顔を忘れてしまうかもしれません。でも、皆が私のことを忘れないでいてくれる、だから、忘れたっていいじゃない。そう思ってこれから生活していこうと思えるようにもなりました。
私は認知症になっても、周りの環境さえ良ければ、笑顔で楽しく過ごせることを知りました。そして認知症と診断されたあと、薬も必要ですが、環境が一番大切だと感じています。それは若い人でも、年配の人でも同じだと思います。人と人とのつながりの環境が大切で、それが私を笑顔にさせてくれたのだと思います。
最初の頃は周りの人たちは、介護者、世話人だと思っていました。その後一緒に出掛けたりしていると、何かが違うと思うようになり、出会ってきた人たち全てがパートナーだと思うようになりました。特に現在一緒に活動している人たちは介護者だと思わないし、サポートしてもらいながら、何かを一緒にするパートナーと実感しています。できないことをサポートしてもらいながら、できることを一緒にするという考えを持っていれば、皆パートナーとなるのです。今までは認知症というと何もできなくなるので、やってあげなければと思っている人が多かったと思います。
介護が必要なのは本当に重度になってからだと思います。そして今までは認知症と診断されると介護保険の話をすぐにされるので、すぐに介護が必要だと連想され、何もできないのではと決めつけていたのではないかと考えます。「できることを奪わないでください、そして時間はかかるかもしれませんが待ってあげてください」1回できなくてもすぐにできるかもと信じてあげてください。そして、できた時には当事者は自信を持ちます。失敗しながらも自信を持って行動する。周りの人は失敗しても怒らない。行動を奪わないことが、気持ちを安定させ、進行を遅らせるのだと思います。失敗しても怒らない環境が認知症当事者には必要なのです。危険なことがあるのだったら、注意は必要ですが、話し方や言い方によって当事者のとらえ方は変わります。ちょっとした言い方でも、当事者は不安からなのか、怒られていると感じてしまいます。当事者は失敗したことはわかっています。わかっていてもなぜ失敗したのかがわからないだけなのです。失敗して悪かったなと思っているときに、怒鳴られるとどうしようもなく怒りに変わるのです。最初に話をしたように、パートナーと思うと対等な立場なので、できることは一緒にやろうと思えるようになると思います。これは当事者だけではなく、医者、介護士、地域包括の方々、そして家族、全ての人に言えることなのです。医者だって一緒に病気を乗り越えるパートナーだと思えるようになると、昔のように手足をしばるという行為はできないと思います。地域包括の人たちも、パートナーと思えるようになると、この人には何が必要なのかと考えるようになり、すぐに介護保険の話をすることはなくなり、一緒に寄り添うことができるのだと思います。私も全ての人がパートナーだと思えるようになると、助けてもらいながらも、私もその人のために何かできることはないかと常に考えるようになりました。そして気軽に、ここができないから助けてと言えるようになり、ここはできるので一緒にやろうと言えるようになったのです。
2014年に日本認知症ワーキンググループが設立されました。これは日本初の認知症本人のみによる当事者団体です。一人ひとりの声は小さくても、認知症本人が集まり、話し合い、声を結集し、社会をよりよく変えていくための建設的な提案をしていきたいと願い立ち上がりました。
私は参加したメンバーでは最年少、私は若年の立場から、これからも子供を育てていかなければならなく、支援が必要なことを伝えられればよいと考えています。また、診断されてから、介護保険が必要になるまでの今までほとんど支援がない、この空白の期間があることを知ってもらい、私の時にはだめでも、これから認知症になる人が幸せになれるような制度をつくってもらえるように発信していきたいとも思っています。そして私がワーキンググループに参加して活動している姿を多くの人に知ってもらうことが大切だと感じています。それは、30代や40代でも認知症になる可能性があることを知ってもらい、また、認知症になっても終わりではない、何もできなくなるということは間違いだということを知ってもらいたいからです。早期診断は本当に大切なことですが、早期絶望にならないように発信していかなければならないとも思います。
そして仙台で昨年5月にオレンジドアが始まりました。これは認知症当事者が不安を持っている当事者の話を聞くという初めての試みです。私は、私よりも先に不安を乗り越えた当事者との出会いにより、私もこの人のようになれるかなと思うようになり、気持ちが前向きになり、認知症の仲間を助けたいと思うようになりました。自分が不安だったとき、周りから大丈夫だよ、頑張りなさいと言われても、自分の気持ちをお前がわかるわけないだろ、認知症になったこともないのにと思って反発していました。しかし、当事者と話をすると、共感することも多く、同じ悩みの中、こんなに元気でいることができるのだと知りました。当事者にしか解り合えないこともあるのではないかと感じました。
オレンジドアは最初の一歩を踏み出してもらうための場であり、現在あるような認知症カフェや、つどいのような居場所ではありません。来てもらった人に認知症でも笑顔で過ごせることを知ってもらい、居場所などへつなげる役割があると思ってやっています。
認知症になっても一人で悩まず、まずは信頼できる人、一人でもいいので、困っているから助けてと声をあげていくことが大切だと感じます。家族はもちろんですが、家族以外の人に言えるのも大切だと思います。家族の人に相談しにくいことも、家族以外の人でしたら気軽に言えることも多いからです。
病気になった時、やはり最初の一歩を踏み出すのは大変なことでしたが、踏み出すことにより人生が変わり、多くの認知症と関わる人と知り合えることができて、私自身これからのことで安心することができ、進行も遅くなっていくような気がします。認知症になっても当事者や家族は、どうしても認知症になる前の姿を追い求めてしまい、できなくなることを受け入れることができません。そのことで今までとは違う姿を見せたくないと思っている当事者もたくさんいます。今までのようにはいかないと受け入れる勇気が必要だと私は感じます。受け入れることで人生が終わるわけではありません。実際に今までのようにはいかない、できなくなったことを受け入れ、良い意味で、諦めることで、できることを楽しんで生活するようになった全国にいる私の仲間たちはとても輝いています。
認知症と診断されることを恐れて、病院へ行きたがらない人も多くいます。楽しい人生の再構築をするためにも早期診断、支援とのつながり、社会参加が必要で、異変を感じたら早く病院や相談窓口へ行ってほしいと思います。私も営業の仕事、好きだった車の運転は諦めましたが、今まで行動できなかった合唱などで歌うことや、講演活動など人生が大きく変わりました。人生は認知症になっても新しくつくることができるのです。認知症と診断されたあと、病院では薬を出してくれますが、それだけではだめだと感じます。病気を受け入れられる環境が必要で、本人や家族が安心して暮らしていける環境がなければだめなのです。本人や家族は不安でいっぱいなのです。病院や役所で認知症とはどのような病気なのか、どのように進行していくのか、国ではどのような支援があるのか、どのように手続きをしたら良いのか、家族の会へ行ってみてはなど、もっともっと教えてあげてほしいと思います。私が告知され、不安でいっぱいになった時、どこに何を聞いたらよいかわからずにいました。私は自分で家族の会を知り、家族の会でいろいろなことを教えていただき、不安が少し解消されていきました。何もわからないことが不安を増し、本人や家族をうつなどのほかの病気にしてしまうのだと感じます。
認知症は決して恥ずかしい病気ではありません。誰でもなり得るただの病気です。病気によってできなることはありますが、できることもたくさんあります。これからますます増えてくる認知症、皆さんもいつなるか解りません。ぜひ、皆で支える社会をつくりましょう。私も認知症ですが、同じ認知症の仲間を支えていきたいと思っています。
御清聴ありがとうございました。
講演内容 : ワードファイル
講演内容 : PDFファイル
会員数 | 出席義務 会員数 |
出 席 会員数 |
出席免除 会員数 |
メーキャプ出席 会員数 |
出席率 |
22 | 22 | 21 | 0 | 0 | 95.45% |
会員数
|
出席義務
会員数
|
出 席
会員数
|
出席免除
会員数
|
メーキャプ出席
会員数
|
出席率
|
22 | 22 | 22 | 0 | 0 | 100% |
会員数
|
出席義務
会員数
|
出 席
会員数
|
出席免除
会員数
|
メーキャプ出席
会員数
|
出席率 |
22 | 22 | 22 | 0 | 0 | 100% |
吉原 和雄さん (都城RC) | 佐藤 理さん (倉敷RC) | ||
島津 久友さん (都城RC) | 宗政 寛さん (福岡南RC) | ||
佐々木 慈舟さん (都城RC) | 河阪 敏明さん (甲府南RC) | ||
福澤 晃二さん (都城RC) | |||
柿内 弘一郎さん (鹿児島RC) | |||
仁田脇 雅之さん (宮崎北RC) | |||
飯干 耕成さん (延岡東RC) | |||
下園 満さん (阿久根RC) | |||
河東 光浩さん (都城RC) |
第19回例会(通算第109回例会)
【あなたは次の内容をご存知ですか?】
「2730 ジャパンカレントロータリーEクラブ定款」
第10条 理事および役員
第4節 役員
クラブの役員は、会長、直前会長、会長エレクト、幹事、会計とし、1名または 数名の副会長、および会場監督を役員に含めることができる。このうち、会長、直前会長、会長 エレクト、副会長、および幹事は、全員理事会のメンバーとする。また、会計および会場監督は、 細則の定めるところに従って、理事会のメンバーとすることができる
~以下省略~
Q1)「メインプログラム」についてご意見・ご感想をお書き下さい/
Q2) 例会に参加された感想、会長挨拶・委員会報告等についてのご意見・ご感想など、ご自由にお書きください。/