ロータリーE-クラブは一般のクラブ(Traditional Club)とその活動に於いて異なるところはありません。
毎週例会を開き、奉仕プロジェクトを実施し、ロータリー財団を支援し、会員同士の親睦を深めます。
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ロータリーに関する資料を集めてみました。参考にしてください。

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第6回例会(通算第307回例会)

例会の開催期間:2021年8月23日正午 ~ 2021年8月29日正午
21-22年度RIテーマ 「奉仕しよう みんなの人生を豊かにするために」
21-22年度2730地区テーマ 「ロータリーの原点に立ち、誇りと自信を持って行動しよう!」

例会プログラム

四つのテスト

ロータリーの目的

「ロータリーの目的」

ロータリーの目的は、意義ある事業の基礎として奉仕の理念を奨励し、これを育むことにある。具体的には、次の各項を奨励することにある。

1.知り合いを広めることによって奉仕の機会とすること。
2.職業上の高い倫理基準を保ち、役立つ仕事は全て価値あるものと認識し、
  社会に奉仕する機会としてロータリアン各自の職業を高潔なものにすること。
3.ロータリアン一人一人が、個人として、また事業および社会生活において、
  日々、奉仕の理念を実践すること。
4.奉仕の理念で結ばれた職業人が、世界的ネットワークを通じて、国際理解、
  親善、平和を推進すること。

付記
「ロータリーの目的」の4つの項目は、等しく重要な意味を持ち、また同時に行動を
 おこさなければならないものであるということで、RI理事会の意見が一致した。
 (ロータリー章典26.020)

ロータリーソング










君が代


会長の時間

会長の時間会長 柴田 伸久


 2730ジャパンカレントロータリーEクラブの2021-22年度第6回例会(通算307回例会)を
開催いたします。
 
 コロナウィルスが猛威を振るっており福岡に4度目の緊急事態宣言が発出されました。九州各地においても感染が拡大しており、ワクチン接種が進む以上にウィルスの生き残りをかけた対応が素早いようで、イタチゴッコにおいてもかなり後手を踏まされてしまっている状況です。
 我々としては人との接触を極力避け、感染防止対策を徹底するしかありません。医療体制へ影響を与えない為にもしっかりと体調管理にも務めていかなければならないところです。
 
 さて、今週の会長の時間は、「しばさんぽ」の第2弾をお届けします。 
 
 
~~ 「しばさんぽ No.2 青森編」 ~~~~~~
 
 第2回目は青森県の青森市と六ヶ所村をご紹介します。
 
 まだ労働組合の専従役員をしていた2019年11月の話になります。ある友好団体から青森県六ヶ所村にある日本原燃㈱の原子燃料サイクル施設の視察参加の依頼が来たことがきっかけでした。
 今の会社に入社してから11年間原子力発電所に勤務していたことから、原子燃料サイクルについては大変興味がありましたが自費での見学はなかなか難しい(遠方であることと手続きの面から)なと思っていたところのお誘いだったので、私でよければと参加させていただきました。
 視察団は5,6人ということをお聞きしていたので私はてっきり同じ電力関係の会社の方々と一緒に行くものと思い込んでいたのですが、私の他のメンバーは5人全員、大野城市の市議会議員の皆さんでした。
 
 事前に視察団の代表の方とメールで連絡を取りながら当日を迎え、福岡空港で初顔合わせと名刺交換をした後、羽田空港経由で青森空港を目指しました。この日は天候が荒れており飛行機の運行も危ぶまれましたが、なんとか無事に青森空港に到着。現地では雪が舞っており地元の方にお聞きしたら「今年の初雪」だったとか。運が良いのか悪いのか分かりませんが、視察団一行は吹雪のなかバスで六ヶ所村を目指しました。
 
 1時間半ほどバスに揺られ、最初の目的地である「六ヶ所原燃PRセンター」に到着しました。ここでは原子燃料サイクルの概要について説明を受けた後、様々な展示を見学しました。(展示館内部は写真撮影OKでした)

そもそも原子燃料サイクルとは 原子力発電所から回収された使用済み核燃料を再処理してウランとプルトニウムに分け、新たにMOX燃料として整形し、再び原子力発電所で利用するサイクルのことをいいます。この六ヶ所村にはそのための再処理工場とMOX燃料工場及び関連施設であるウラン濃縮工場や放射性廃棄物埋設センターなどが一箇所に集約されています。
 現在はウラン濃縮工場と2つの埋設センターのみが稼動しており、再処理工場は試運転、MOX燃料工場は建設中の状態ですが、今回の視察ではそれらすべての施設を見学することができました。
 私は職業柄、設備についての技術的な質問を多くさせていただいたのですが同行していた市議の皆さんは工場があることによる雇用や需要の問題や放射性廃棄物の地層処分受け入れなどの問題について多く質問をされていました。やはり職業やおかれている立場の違いによって、同じものを見聞きしても考えることが異なることを実感したところです。
 
 工場見学後は青森市内のホテルで宿泊となり、せっかくの機会でしたので市議の皆さんと近くの居酒屋で親睦を深めさせていただきました。なかなか素の議員さんとフランクにお話しする機会はなかったので大変良い懇親の場となりました。
 
 次の日は飛行機の出発時間まで時間があったことから早起きして一人で青森市内を散策し、青森駅から徒歩5分のところにある青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」(写真の黄色の船)を見学しました。
 1988年まで青森港と函館港を結んでいた「青函連絡船:八甲田丸」を内部まで見学することができ、鉄道連絡船というだけあって船内には昔の鉄道車両がそのまま展示してあり、そのスケールの大きさに圧倒されました。また港には「津軽海峡冬景色」の歌謡碑があって曲がひたすら流れており、「この海の先は北海道か」と感慨深い気持ちにさせられました。
 まだ時間があったので、そこからまた徒歩5分のところにある「ねぶたの家:ワ・ラッセ」も訪れました。いわゆる、ねぶた祭りのミュージアムでねぶたの山車が常設展示されており、祭りの雰囲気とその迫力を味わうことができました。




 青森県は、なかなか行くきっかけがないと訪れることがないと思っていた地でしたので、良い機会に恵まれました。本当は弘前城や十和田湖まで足を伸ばしたかったところでしたがさすがに時間的余裕もなく断念したことから、いつかまた時間を作って訪れてみたいと思います。
 
 <近隣ロータリークラブの活動紹介>
「ハンセン病療養所で植樹 梅吉翁の思いと共に」(青森ロータリークラブ)
 
 6月8日、青森市内にあるハンセン病療養所「国立療養所 松丘保養園」で、シダレザクラとハナカイドウ、ユスラウメなどの苗木12本を植樹しました。2014-15年度から始めたこの活動は今回で6回目となり、これまで計125本を植えてきました。
 植樹の目的は、長く療養されている人たちへの安らぎの提供、「地域のために多くの縁を残したい」という同園の思いへの支援、入園者との交流、さらには同園に多大な援助をした日本のロータリーの創始者・米山梅吉翁の功績を記念すること。
 当日は、会員と家族、ローターアクター、地域住民、米山奨学生、そして保養園の関係者を含め85人で交流しながら植樹しました。作業終了後、同園の自治会長から、ハンセン病にまつわる講話がありました。
 強制隔離から生まれた偏見や差別により、患者とその家族が受けた辛苦と忍従の年月、また園内では本名を名乗ることができず、名前を変えての生活など、苦難に満ちた歴史について学びました。活動を通じ、同園への援助を惜しまなかった梅吉翁の思いに、少しだけ近づけたと実感しています。
 
(ロータリーの友(2019年9月号)より)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
今週も皆さまの人生が豊かなものとなりますように。
 

幹事・委員会報告

幹事報告幹事 花里 隆二

 
     
 
 

   
        2021-2022年度 第6回(通算第307回例会)幹事報告
 
  • 1. Eクラブ会員への幹事まで返信・回答依頼事項
  ①ロータリー100年史の発送について
   各クラブ寄贈分の発送が8月第1週から開始予定とのことです。
  ②熱海豪雨災害義援金協力のお知らせについて
   ガバナー事務所から標記の義援金の協力依頼がきております。
    義援金を出す方法について、未回答の理事メンバーはFACEBOOKに至急
   アンケート回答をお願いします。 
  ③2730地区補助金管理セミナー(ZOOM)
   日時:2021年9月4日(土)13:00~17:00
   出席:今福会員  
 
  • 2. Eクラブ会員へのクラブ内の連絡事項
  ①2021-22年度会費(前期分)の納入について
   会計より今年度前期分の会費納入依頼がきておりますので、振り込んでいない会員
   は、期日が過ぎておりますので振込みをお願いします。
  ②Eクラブ理事会開催
   日時:2021年9月12日(日)10:00~ 
   場所:2730地区事務所
   議題:11月ガバナー公式訪問、12月Eクラブ研修、2月プロバスケットボール招待
      事業等について
   ※都城4地区合同清掃は延期、リアル理事会開催については、理事会で協議します。
  ③Eクラブ宿泊研修会・例会・理事会開催
   日時:2021年12月11日(土)~12日(日)予定
   場所:2730地区事務所
 
  • 3. Eクラブ会員へのクラブ外からの連絡事項
  ①全国ロータリー囲碁大会
   日時:2021年10月2日(土)10:00開催
   会場:東京・市ヶ谷の日本棋院本院1階対局室
   参加:7000円(昼食・商品代含む)
   締切:2021年9月24日
 
  • 4. Eクラブ外・地区行事関連の連絡・確認事項
  ①2021年9月12日実施予定でありました、ロータリー奉仕デー「清掃活動」
   都城地区4クラブ合同の清掃活動は、延期となりました。
   方向性わかり次第、お知らせいたします。
    
  • 5. 例会プログラムについて
  例会プログラム計画が、各会員への配信されておりますので、例会が滞りなく行われ  
  ますように、例会プログラム委員会用のメールに提出のご協力をお願いします。
  ①提出期限:例会日10日前
  ②提出先:SAA中村  泉、例会プログラム委員長 吉永由香
  ③例会プログラム委員会メール:rec2730.reikai@gmail.com
 
  • 6. メークアップ連絡について
  ①自クラブ以外の他クラブの例会や行事でメークアップ補填する例会は、証明書や
   証明になる書類を添付して、補填する例会を連絡する。
  ②自クラブのリアル例会や行事でのメークアップは、補填する例会を連絡する。
  ③報告先:幹事 花里隆二と副幹事 無漏田 幸呼まで
 
 
 
                                以 上
 

  •  

  •                        

委員会報告2021-22年度年次計画 クラブ危機管理委員会

2021-22年度年次計画 クラブ危機管理委員会
委員長:東  岳也       
副委員長:今柳田幸代       
委  員:柴田 伸久  今福 修吾
     花里 隆二  中村  泉
無漏田幸呼  桐明桂一郎
【委員長挨拶】
2021-2022年度、前年度に引き続きクラブ危機管理委員会委員長を務めます東です。よろしくお願いいたします。これまで私たちのクラブでは、危機に対して直面する場合があった時は会長を中心に理事会で対応するようにしておりましたが、幸いこれまでの各プログラムにおいて対応する場面はないところであります。
前年度、地区の要請を受け、戦略委員会とともに新たに設置された委員会の一つでありますが、各委員会等で実施するプログラムの計画の際、危機管理面からの実効性を考え、プログラム実行の際に予防を行い、万が一事案が発生した場合は理事会を中心に対応します。
 一年間、よろしくお願いします。
 
 
【年次目標】
クラブで行う各プログラムの実行の際、危機管理の面からの助言をおこない備える。
危険事案が発生した際に、速やかに活動し会長及び理事に報告するとともに、問題解決に対応する。
 
 
 
【年次計画】
各委員会等で行うプログラム計画の際、危機管理の面から助言を行う。
 
 
 
 
 
 
 
 
【活動計画】
プロジェクト名 危機管理委員会
内   容 各プログラムの実行の際、危機管理の面からの助言。
クラブが行うプログラム等で、危険事案が発生した際に、速やかに活動し会長及び理事に報告するとともに、問題解決に対応する。
時期(期間) 年間を通じ
予   算 10,000円(消耗品等)
備   考 各種保険は各プログラムで予算計上する。
 

  以上    

メインプログラム

ローターアクトに関する思い加治木RC 岩澤浩二

 今週のメインプログラムは加治木RCの岩澤浩二様による卓話です。岩澤様はローターアクトクラブを経験された後、ロータリークラブに入会し、現在地区役員としてもご活躍されております。この原稿は5年前、鹿児島西RC系統クラブ拡大学習会にてお話されたものとのことで内容はその当時のものになります。
12,000文字を超える大作となっており、岩澤様の熱い想いが伝わってきます。
※補足:文中の「ライラ」内にて、地区に関する記載がありますが、以前は第273地区で熊本・大分・鹿児島・宮崎が一つの地区となっており、その後、熊本・大分と鹿児島・宮崎に分かれたとのことです。
 
 
「ローターアクトに関する思い」
加治木RC 岩澤浩二
 
「始まり」
事の起こりは昭和51年1976年正月前に、明けて3月で大学を卒業予定の私に父から加治木ローターアクトクラブを作るから直ぐに兄に協力し一緒に作りなさいというものでした。それは丁度、加治木RC10周年の節目でした。
 
加治木ローターアクトクラブは発会に向け白紙から始める訳ですが、兄は同級生や仕事で付き合いのある営業マンと一緒に準備を進めていて、この方達に混じって正月を過ごしました。標準ローターアクトクラブ定款細則を毎回少し読みほぐし、クラブの目的目標や文書内容を研究し、市内にある鹿児島西RACの例会を訪問させて頂きました。それまでに加治木ロータリークラブとの接触は父だけで、他の会員は殆ど目にすること無く、会員候補独自で勉強を発展させ他のクラブの例会も見学しながら、加治木RACの形を作り上げていきましたが、周囲のクラブは全て先輩クラブで、順調に例会をする姿が羨ましくもあり、早く自分達のペースを掴もうと必死でした。会員候補は確か26名、主に加治木町立柁城小 2 学校からの先輩後輩で小さい頃から知っている地元の会員が多く、年令は20才から26才だったと記憶しています。そして3月16日に無事発会式を迎え、第1回例会が行われましたが、説明会から3ケ月足らずで発会した経験は、その後、新ローターアクトクラブ結成に大きな指標となりました。でも発会式に私は出席せず、大学の卒業式を待つ身で、最初の例会は欠席者でした。
 
しかし2回目からの例会には欠かさずに出席したものの、まだまだ社会人一年生は仕事にも慣れず、ましてRACにも慣れず、定款細則の目的目標を例会のプログラムに合わせることなど、とても私には合わないものだと感じていました。例会は午後6時半から8時まででしたが、兄と共に6時前には会場に着き、机を並べ会報を並べ、ネームプレートを置き、受付をする日々でした。店屋物の夕食も例会開始間際には着き準備が終わりますが、例会が始まると落ち着きません。困ったことに、私は人前で話しをするのがとても苦手で、それに女子会員もいるし、何か胸がどきどきしながら、早く終われば良いのにといつも思い、例会に居て、当てられて一言話すのがとても難儀で怖く、恥ずかしいことでした。勿論、冗談など言えず、心から楽しめない自分がいました。何故ならば、ローターアクト委員長が父、ローターアクトクラブ会長が兄だったのもあります。皆、チャーターメンバーですが思った以上に個性が違うので、馴染んで陽気に明るく振舞えるまでには1年は掛かった様でした。しかしそれでも何とか同級生を見つけ、口説き落とし直ぐに入会して貰いました。有り難かったですが、勿論今でも同級生以上に信頼の於ける付き合いを続けています。気の知れた友人がいると少し気が楽になり、ちょっと積極的になり始め、それは2年目にクラブ奉仕委員長の役が回って来た時からでした。委員長だから委員会を招集し、プログラム担当日の内容を検討しなくてはなりませんので、自分のことは後回しになり、その内に自分のプライベートな時間はアクトに出ても気にしなくなりました。大袈裟ですが生活自体がアクトのペースで進んで行きました。
 
当時加治木RACは、例会プログラムで委員会に任された時間をどうするか、それがどんな効果があるか、アルコールも交えながらよく委員会を開き、意見を持ちより、時には義も言ったようです。6人の委員会では委員の意見が多様で面白くもあり、決める時へ困難もありましたが、一度決めたら皆で実行することがクラブとしての最低の決まりでした。例会、委員会、理事会と月に最低4回は集まり語り合いました。何回も何回も語り合うことに少しずつルールも身につけて行きました。現在は携帯もメールもあるので連絡は直ぐに取れますが、無い時代には一旦決めた約束は必ず守って行くのが当然であり、それもアクトだと信じ進めて行きました。他の委員会も同様に委員会を行っていましたが、当時の私の勤める建設会社の休日は第3日曜日だけで、また私の管理する遊技場は年中無休、2年目から始めたラーメン屋は年末年始の3日が休みで、殆ど年中無休でした。
 
若い時は勿論、遊びたい盛りでしたが、私に遊ぶのが許されるのはアクトで研修会がある会議があると言うと父も兄も納得してくれて、参加出来ることになっていました。だから私は出来る限り遠いところも開催される年次大会や幹部研修会にもよく参加する様になり、それなりに友人も増えていきました。外に出られる楽しみを覚えました。そして色んな大会や会議、研修会に参加しては、帰ってから必ずその内容について検証し合い再確認することが常で、これがアクトを見つめることにも繋がったと思います。
 
同じ年頃の若者達が休日にドライブやキャンプなどで楽しむ様に、私は年次大会や幹部研修会で大分や長崎や熊本、宮崎にドライブ気分も含めて参加しました。また研修センターや旅館やホテルでの宿泊も、キャンプみたいに他のクラブのアクターと一緒に深夜までアクト談義に花を咲かせ、楽しみました。話すことが苦手だった私も、いつしか話すことが苦では無くなり、他県の女子会員とも話せるようになり、友人を増やすことがそんなに苦では無くなり、楽しさを覚える様になっていました。ローターアクトの活動は日頃休日を楽しめない私にも、感動、感激、そして友情など楽しい出会いを与えてくれて、そして多くのロータリアンの話しを聞かせてくれました。
 
例えば古木圭介さんは当時すでにロータリアンでしたが、グローバルユースビューローを営み、世界を駆け回っていることを知り、沢山の見識がおありだと知り、加治木RACの例会に、誠に失礼ながら、電話口で卓話のお願いをし、お茶一本のお礼だけで一時間近くヨーロッパの文化について熱く語って頂いたことは今でも忘れはしません。こんなに長くお付合いをさせて頂くなどとは夢にも思っていませんでしたし、他にも沢山の尊敬される方々に会わせて頂きました。
 
「会長時代」
時は過ぎ、第三代の会長を務めることになった私には、26名の会員を主導しなくてはならないと必死にいろいろ考えあぐねました。そんな秋頃、幹事が商業簿記の資格を取るので、休会か退会したいとの申し出がありました。幹事が抜けたら私も忙しくなるけど会社の方針で資格を取るのだから私には無理も言えないので、暫く考えてから、良いよと承諾しました。あんまり間もなくあっさり返事をしたので、幹事はどうしてもっと引き止めるとかしないのかな、私はクラブで重要な役ではないのかなと、言うので、自分の大切な仕事で時間が取れない人にアクトを無理強いは出来ないでしょう、と言うと冷たいなあと言われました。でも一旦辞める決意をしたのなら外部から何を言っても覆さないだろうと思っていましたが、単に私があっさりと返答したので、もっとしつこく引き留めて欲しかったようでした。でも辞めるとは思っていなかったので、どうぞ頑張って下さいというものでした。
 
1~2回は例会にこられなかった幹事もその内に何事も無かったかのように時間を調整して来るようになりました。そのことが自分で時間を作ってアクトに出るんだとの意識が育ったのだと解釈しました。
 
また年に数回行われるローターアクト連絡協議会では会長同士の意見交換の場もありましたが、皆、初めての会長を任されたのですからぎこちない言動が見えました。もう少し滑らかに行くには皆で飲んで語ろう、これしかないと考えていました。自分も何とか次年度の体制を決めた後でしたので、肩の荷が下りる時期に、当時の鹿児島県分区代理が、次は岩澤君ぐらいしかいないからやってくれないかなと、皆上手ですね褒めて使うんですね、その後私もあちこちで多用してきましたが、分区代理を受けてくれないかと、進められれば悪い気がしないですね。そのことを父に相談したら、やれるようにしなさい、と一言でしたので受けることにしました。
 
今思うと、やれるようにしなさいとは、仕事の段取りをちゃんとし、時間を作りなさい、時間を作ってそれで動きなさいと言っていたのだろうと。これは職業奉仕ですね。やれる体制に自分を持って行くことでロータリーの奉仕を実践しろとおぼろげながら感じました。
 
クラブの資金はいつも黒字でした。提唱RCからの育英資金との名目で10~15万円頂いていたと思います。会費は1カ月千円ぐらいかと思いますが、会場費と会報の印刷費、夕食の弁当代が主で、研修会費とか交通費とか皆、自分持ちでした。特に誰も何も言わず、当たり前のことでしたが、資金活動はニコニコや、夏祭りでの飲料水や氷かき売り、また古紙回収、別途我々が企画立案したお祭り、天神公園でのバンド演奏、飲料水販売やバザーなどで資金を得ていました。特にロータリーからの費用が多い少ないとの意見も何も無く、周年記念のために蓄財していました。
 
「分区代理時代」
加治木RACは創立3年で初の分区代理が回ってきました。既に28才にあと半年で、その時は6月の幹部研修会が城山観光ホテルであり地区代表と4人の分区代理が紹介されます。鹿児島県は7RAC鹿児島、鹿児島西、鹿児島南、鹿児島東南、指宿、鹿屋、加治木で150人以上の会員が在籍しており、分区代理の重責を感じ始めていました。この頃は28才で退会であり、この一年はまた特に忙しくし楽しく動き回りました。連絡協議会で鹿児島県内RAC活動の計画が発表され、それに伴う協議の進行が主な役割でした。しかし、それぞれの会長もお山の大将がいて話がまとまり難いこともありましたので、気持ちが行き交うにはどうすればよいか考えた結果、会長だけを天文館の居酒屋に呼んで会費2千円程度で良好なコミュニケーションをとりました。皆さん飲めば楽しくなり、良好な 関係がその後の運営をとても滑らかにしていったことは言うまでもありません。まず、会長方と何でも語れる状況が出来ました。
 
9月当初には鹿児島中央RCの青少年奉仕委員長上田さんに呼ばれ、年内には鹿児島中央RACを発会させたいので君は分区代理だから手伝えと言われました。他のロータリークラブの上から目線を感じましたが、そこで思い起こすことは加治木RACが発会した経緯を上田委員長と相談し、計画していきました。それから毎週夕方以降、明視堂の2階に呼ばれ、アクト候補者への学習会を催し、役員理事の候補に相応しい人を選出し、他のローターアクトクラブ例会へ見学に連れて行き、自分達の例会を始めさせました。お陰さまで12月には発会し、認証状伝達式には当時のガバナー大分ガスの福島親比古ガバナーもお見えになり誕生を喜んでおられました。分区代理での初めてのお手伝いでしたが、この経験は後々私の中でのRACへの発会へのステップとして残って行くことになりました。
 
「ライラ」
いろんな体験の中で5月頃に第273地区で開催されました第2回のライラに参加をしました。場所は熊本県の阿蘇国立青年の家で、阿蘇の麓にあるかなり歴史のある研修センターにローターアクトと一般青年男女が約200名、集められ2泊3日の研修会が始まりました。もう既に35年以上も前ですので記憶が曖昧ですが小刻みに分科会が行われ、アクターと一般青年男女の混成グループの中でリーダーをその場で選出し、その都度のテーマで分科会が始まり、それが午前と午後、毎日の様にあったように思います。その様子を一般の研修生が見てアクトに習い、リーダー研修に成長させる目的だったと認識しています。ロータリーの若者への指導者体験でした。リクレーションも毎回班別で動きました。阿蘇火口までの往復のハイキングをしながら、少しずつ気持ちをほぐしていきました。また就寝中に私語があったところは罰を与えられ清掃か何か別メニューがあったと記憶しています。ライラのプログラムは当時の地区青少年野外活動推進委員会が企画しており、時間が許せば沢山の参加者に経験して欲しいプログラムではありました。
 
その後、1985年に地区が分かれ第2720地区が熊本県と大分県、そして第2730地区が鹿児島県と宮崎県になり、丁度宮崎北RCの外山三郎ガバナーからそうなっていきました。
 
「アクトが終わった日」
分区代理をさせて貰い、後任を選出し、次の幹部研修会まではしっかり参加させて貰いました。しかし、定年になるのも直ぐにやって来ます。加治木RACの最後の例会がとても辛く空虚が覆い被さってくることを跳ねつけるにはまだ弱く、私は最後に例会の後、役員6名で現役最後のスナックへ立ち寄り、もう帰れないアクトへの思いを振り返り、アクトへの別れをしました。もう現役ではない。昭和56年1981年6月末。
 
「アクトOB」
アクトへ別れをしましたが、加治木RACの伝統を維持するため私達にも責任があるとの思いからそれから、4年間は面倒を見るとはおこがましいですが、側で見させて貰いました。現役が4年4カ月なのにOBも結構長くなっていましたが、例会へ出席し、意見を求められた時にだけ発言し、会長の求めに応じたことでしか意見を述べませんでした。感想とか、ニコニコとか。私達が会長や委員長だった頃、OBが出たばかりでしたが殆ど例会には来なかったように思います。OBがいないような時期で、ここでしっかり方針を立てようとしました。それは現役に特に例会時には余程のことが無い限り、不快と思われる口を挟まないことにし、口を出すのは、例会後、理事会後のお酒の席と決めていました。皆のいる前で会長や委員長を批判すると、彼らのやる気を失わせるのは明らかだったでしょう。
 
この時代、OB3年目に一人の生活になり、それでも例会には継続して行き今、地区RA委員長の中間博英君がアクトに入って来ました。最初に例会に来た時は終わり間際に遅れて来て二次会ではかなり酔い、次の例会に来るか心配でしたが、直ぐに会員になりました。しかし、この若者もまだアクトを知らないために義は強く、飲んでは言いたいことを言う性格でしたが、それは意気込みあることの裏返しと考え、何とか分かって貰おうと考え、幾ばくかの預金から約半年間例会後と理事会後には加治木町の港町が呼んでいて、それがコースの一つになり、飲ませ、話しをしていきました。話すのは少しで、大方は馬鹿話に聞き入ることでしたが、預金の底が着きそうな頃、漸く私の言い分を聞き入れ、前向きになってくれたようです。
 
この時期に大口RCからRACを発会したいので指導をしてくれとの依頼が加治木RCのローターアクト委員長にあり委員長だった兄が、お前が行けと言うので何回か大口に出向き準備に携わりました。加治木RACの会員も何回か連れて行き手伝いをさせてみました。そして無事に発会していきました。
 
加治木RACは会員が10名足らずになっていたにも関わらず、それからは水を得た魚の様に会員を増やし23名までなり、それは次の年度が加治木RAC創立10周年になる時でした。
 
「加治木RC入会」
加治木RCには昭和61年1986年7月に父がガバナーになるためにガバナー事務所の事務をして貰うため半年前から育てていた若者が、父の指導に慣れず辞めていった代わりに、ガバナー公式訪問の車の運転手として入会することが私のロータリーの始まりでした。父の従弟の後藤和義会員が例会前夜に、浩二君は明日の加治木RC例会に出て来なさいと、言われ叔父さんの言うことにたてつけない家系、NOが言えない家系でしたので、勿論、はいと言うしかありません。そして、初めは公式訪問の運転とガバナー月信の編集に専念することになっていきました。
 
11月には霧島の林田観光ホテルで第2730地区年次大会が開催されました。勿論、いろいろ手伝いを致しましたが、まだワープロがドットプリンターの初期、壇上の設営を任されました。全ての壇上の配置を設定し、作ることですが私一人では到底出来ず、ローターアクト23名を全部呼び、ホテルでの宿泊とホテルの食事とボーリングを計画するからとの約束で全部手伝いをして貰いました。しかし、終わった後にアクトから不平を言われ、宿泊は畳の大部屋で男女一緒の雑魚寝だった、ホテルの食事は懇親会の後になり残り物だった、ボーリングはロータリーに全部負けたと。でも皆、とても良く頑張ってくれたので成功だったと感謝して褒めることでした。
 
父はガバナー公式訪問で新RACの発会を促していましたが、直ぐにローターアクトを作るからとの回答があった出水RC、阿久根RCから設立の準備をしたいのでよろしくご指導下さいとの依頼に、父はお前がしろとのことで、出水、阿久根に頻繁に出向き、発会を手伝いました。沢山のアクトに良い経験をさせようと考え、鹿児島市から数名の助っ人、現役のアクト、アクトOBを募り、鹿児島中央RACを発会した時の様に計画立てて進めて行きました。大体3カ月で発会することが出来、アクトも広がって行きました。また新RCの発会は、鹿児島城西RCを鹿児島西RC、特別代表川上鐡太郎氏と中村善治会長の下に親クラブとなり発会した年でもありますが、同時に鹿児島城西RACも発会しました。会長がすると決意するのはとても偉いことだと父は良く語っていました。実に忙しい 年でした。
 
「加治木RAC創立10周年」
加治木RCは入会時55~6名で、33歳の私には皆、大先輩だらけで特に若い会員に前年度入会していた笹山義弘姶良市長がいました。炉辺会合があるから初年兵は出て来いと大先輩が言うのですが、慣れ親しめず、宴会で酒を無理強いされるのが馴染めず、殆ど参加せずにいました。若い会員だけで集まることもなくRACの例会に参加し続けました。
 
私のガバナー事務所での務めは、ガバナー月信編集と車の運転が主でしたので、天本会長エレクトの亜細亜印刷には届いた原稿を運び、崎元会長に見てもらい、父へ校正が出来たのを提出することと、次回の原稿依頼の準備を2カ月前からして行くのが月信編集の務めでした。校正のために自分で何回も読む内にロータリーのイロハを覗いていきました。また運転して各クラブの例会場所に父を降ろすのですが、中には強引にメイキャップして行きなさいと言われ、緊張の中、ポリオプラスが始まって2年目で、決議23-34を質問に掲げ、奉仕の在り方についての意見があちこちで聞かれました。私にはまだ意味が理解出来ないでいました。
 
私は7月21日入会でしたので、委員会所属は急遽インターアクト委員会に配置されました。インターアクト委員長は丁寧に、別に何もしなくて良い、学校の指導教諭と協議しているからと言われたので、ロータリアンとしてアクトの例会にいくことにし、アクトOBと違う感覚で出席していました。そこで思ったことは、晴れてロータリアンとして指導助言をすることが出来る。しかし、その言葉には責任を持って話さねばならないと心に決め臨みました。最初は気負いましたが、そのうちにアクトの先輩としても見られ、いつも仲間に入れて貰っていました。その時のローターアクト委員長は兄でしたが、お前が代わりに出ろと言ってくれるので、堂々と例会や活動に参加して行きました。
 
「加治木RCローターアクト委員長」
昭和62年1987年7月から10年間クラブローターアクト委員長を務めさせて頂きました。この間に加治木ローターアクトクラブの会員数は常に25~29名を保ち、他のクラブとも友好的な関係を保ち、地区ローターアクト委員会が開催するローターアクト委員長とローターアクトクラブ会長との協議会でローターアクトクラブ定款細則の学習が毎年開催され、各委員長の状況報告と今後の課題が協議され一定の基準を保っていたと思います。
 
「ローターアクトの国際交流」
少しして、姉妹地区の韓国第3660地区ローターアクト同士の相互訪問でお互いの国を理解の下、交歓会が始まりました。友好的な関係で国際理解に努めようと、少しずつ進んでいきました。毎年、両地区のガバナー承認の下に、地区ローターアクト委員会が計画し、ローターアクトが25~35名の参加とロータリアンが2名程度で行われました。係る費用は参加者個人、提唱ロータリークラブからの支援、地区からの支援で賄っており、アクトは当時人数が多くいたのでアクト歴が3年以上から参加出来ることにしていました。私は誰もロータリアンの参加が見込めなかった時に随行したことがありますが、当時は三泊四日の旅程で鹿児島からソウルに行き、ソウル、慶州、釜山の遺跡や歴史資料館、民芸村、お寺などを見学し釜山で交歓会を開催し翌日帰る行程でした。
 
この交歓会は毎年夏8月に訪問し冬1月に韓国からの訪問を受けました。この訪問で私が訪問した当時の朴ガバナーが交歓会の初めに発言した言葉は、とても印象強く耳に残っています。ロータリー同士だから政治的なまた感情的な思いは無いと思っていましたが、ガバナーは、私は日本語を話しますが好んで話しているのでは無く、日本が韓国を植民地にしたから日本人化教育で日本語が喋られるんです。皆さんの父さんや爺さんは韓国を植民地にしたのですと。初めての交歓会での歓迎の言葉でした。それを聞くと我々日本人は皆、静かになり、そして父は何も言わず堪えている様に思われました。バスに乗っても添乗員やガイドが説明するのは、日本人が植民時代にとても悪い事をしたんだとの話しで30年前のことでした。今はガイドが日本好きなロータリアンです。
 
またその後台湾のローターアクトとの交流に、当クラブの地区ローターアクト委員の山下皓三パストガバナー、指宿RC大重勝弘ガバナーエレクト、鹿児島城西RCの内倉先生、小林RCの富永さん等とローターアクト数名と初めての交歓会に行く機会がありました。韓国の感情とは異なり歓迎会を大変な情熱を持って受いれてくれました。こちらは費用が高くなり、3~4回くらいで終わっています。
 
「地区RA委員長」
伊藤学而パストガバナーがエレクトの1月に携帯に本人から直接電話があり地区ローターアクト委員長の要請を受けました。私は誰が推薦してくれたのか気にはなりましたが、家内に言ったら勧めてくれたので、引き受けることにしました。地区委員長になれば特に、ガバナーに迷惑を懸けられない、アクトにいい加減な情報を流したらいけないなぁと思いながら、この二つを肝に命じ、計画を練り始めました。と言っても確固たる引き継ぎも無く、精算した会計報告だけはありましたので、それを参考に進めることにしました。その中から読み取れる活動や金の流れを探り、予算を立てました。そして年間の予定計画案を検討し、長く中断していたローターアクト委員長会を復活させることにしました。
 
私は、クラブローターアクト委員長が何を考えているか知ることから始めることにしました。委員長会を始める前に委員長にアンケートを数項目お願いしましたが、返信が無いクラブがあり、当日までにとうとう未回答のままで全クラブの回答を埋める事が出来ず、ああこれが現実かと思い知りました。アンケートもろくにくれない委員長のいるローターアクトクラブではアクターがどんな指導を受けているのだろうかと。
 
嘆く事より、何とか意識を持って貰うために、以前行っていた標準ローターアクト定款細則の説明から始めることにし、アンケートで多い質問に応え、各委員長へローターアクトの諸活動に意欲的に出て行って貰う様に説明し、また模擬ローターアクトクラブ例会を約1時間実演し、DVDに収め、欠席のクラブに送りました。
 
出来る範囲ではありますが、知らせる情報は全て網羅し、地区ローターアクト連絡協議会への参加も促して行きました。当人が欠席でもクラブの他の方でも出席してくれればまだ良いのですが、24クラブ中16クラブが良いところでした。
 
初年度は何があるか、また出来るか様子を見ることが主でしたので、次年度への計画を地区委員と立てようとしましたが、次年度は全員入れ替わりになることになりました。初年度の方々は私が引張って来た方々では無かったので、3年は頑張って欲しいとも頼んでいませんでしたで、しょうがないのかなと思うことにしました。近年は地区委員を全クラブから出し、地区の様子をクラブへ届けるのも目的になって少しずつ広まっています。決して反対はしないのですが、しっかり活躍する地区委員でないと地区委員会を開いてもどこか他人事の様です。私は自分で見つけることにし、次年度から副委員長と、鹿児島県担当と宮崎県担当の頑張れる人を俗に言う一本釣りしていくことにして、地区委員の強化を図りました。クラブローターアクト委員長経験者で3年程度、一緒に考えてくれる方々を 集める努力をしてきました。
 
2年目からは自分の発言にはローターアクトへの指導を強調し、それらを含むあいさつを例えば連絡協議会、年次大会、幹部研修会などです。そこではいつも最後に所感があり、来賓が不在の場合は殆ど私がすることになりました。その内容は、どこまで聞いてくれたかは分かりませんが、それぞれホストの労いや感想を伝え、次回も充実したものが出来るように励ましていきました。また、基本である例会、皆の役割、会員増強の必要性、限りある年令退会、プログラムの内容、ロータリーとの接し方、分区の関係、地区の流れを組み入れて、更にRI会長のテーマ、地区ガバナーのアドレス、地区内ロータリーの関わりなど、いくらでも情報を投げることをし、ロータリーファミリーであるとの自覚を認識させる段階になってきました。それと気になるクラブローターアクト委員長への指導の一環 として、ローターアクトの分区の分け方で4分区になりますが、その分区毎にローターアクト委員長会を催すことにし、提唱しているローターアクトへの理解と委員長としての自覚を引っ張り上げようとしているところです。
 
地区ローターアクト委員長を5年間させて頂いた中で、4年目までは8月に全クラブローターアクト委員長に案内を出しローターアクト委員長会を開催していましたが、毎年少しずつ委員長が替わり、いつも三分の一は新人のローターアクト委員長であることがわかり、委員長へローターアクトを理解して貰うには積み重ねが出来ていない事に気づきました。そこで5年目には分区毎の情報交換をし、せめてクラブローターアクト委員長同士だけでも顔見知りになり、そこからローターアクトへの認識を高めようと考え始め、宮崎県から始めました。宮崎県は都合3回開催し、えびのRCがRACを再結成するに至りました。
 
ロータリーの友情を基本にしていくと何らかの良い効果が期待出来そうな気になっていますし、この委員長会は年に2回秋と春に開催し、またその中から、地区委員の選出にも繋がると思います。全くローターアクトを知らない方が委員になるより熱心な方が来て下さる方がアクトも安心だと考えて実行しています。今までもありますが、このRA委員長会にはRCの会長や幹事さんもお見えになり地区ローターアクト委員会が何を言っているか見に来てくれます。引き続き行います。
 
「ローターアクターの未来」
私が常に懸念する問題点としてロータリーへ求めることは、ローターアクトへの指導がしっかり出来る力のあるローターアクト委員長であること、それを支える提唱ロータリークラブあるいはクラブ会長であることをあげます。
 
「地区青少年奉仕委員長」
今年度、加治木RCが鹿児島県中部東部RYLAのホストクラブでした。すでに4月2週目の土日一泊二日ので終了しましたが、私はこれを絶好の機会と捉え、今までの青少年奉仕の経緯や活動を通じて、基本に戻りRYLAの立案を実行委員会へ投げかけました。昨年の3月には実行委員会案で理事会へ打診をし計画を進めて行きました。加治木RCは既に少なくとも4回のホストを経験し前回は8年前に開催していましたが、その時はローターアクトと共に最初から企画計画に携わって貰い、彼らに半分の時間を提供し研修内容を検討して貰いました。
 
加治木のローターアクトとはロータリーの地区大会のホストをする際には常に同じ行動の中に入って貰い、役割分担もありました。これまでに3回の経験があり、地区協議会などでも裏方で動いて貰いながら経験を積んできました。前回はその延長でもあり、今回はそこに視点を置き、中部東部のローターアクトにホストの手伝い、企画計画から入って貰いました。ローターアクトが半分以上を進行する形を取り、内容も半分は彼らに任しました。
 
結果としてはローターアクトも参加研修生も皆、充実した時間を過ごして貰い、勿論ローターアクトへの会員獲得も目的の一つでしたので、ローターアクトとロータリーの説明もみっちりし、ローターアクトの活動に共感を持って貰うプログラムにしました。今のところ各クラブで3名程度の入会申し込みを受けているとの報告がありました。一日研修より一泊研修で充実した内容でRYLAを開催する方がよいと思われます。また時間があれば長い方がより充実するでしょう。
 
「最後に」
ロータリーの奉仕は沢山あります。常に世のため人のためですが、そのために人づくりがロータリーの奉仕だと思っています。その精神を少しでもわきまえた青年男女が、将来の日本に公序良俗をもたらしてくれることを信じているからです。その成果はポリオプラスの様には目で見られないかも知れません。ひょっとして、思うほどの結果が見えないかも知れませんが、ロータリーの青少年奉仕プログラムを地道に続けて来た方々は、更に活躍の場が広まったと思います。
子は親の鏡と言われます。加治木RCも恥ずかしいながら、少ない人数ですが、常に諦めることなく、アクターには笑顔と叱咤激励といつでも相談出来るロータリアンを目指して例会や諸活動に接しています。いつか人数も増え、一丁のライフルが一門の大砲に成れるよう自分達の試練としていかねばなりません。私には今更ローターアクトを見逃すことなく、このままロータリー会員である限り続けるつもりです。
 

出席報告副幹事 無漏田 幸呼


第5回例会(通算306回例会)
会員数 出席義務会員数 出 席
会員数
出席免除会員数 メーキャップ出席会員数  出席率
     17       16       12       1        0    75.0%
第4回例会(通算305回例会)
会員数 出席義務会員数 出 席
会員数
出席免除会員数 メーキャップ出席会員数  出席率
      17       16       13       1        0    81.25%
第3回例会(通算304回例会)
会員数 出席義務会員数 出 席
会員数
出席免除会員数 メーキャップ出席会員数  出席率
      17       16       13       1        1    87.5%
第2回例会(通算303回例会)
会員数 出席義務会員数 出 席
会員数
出席免除会員数 メーキャップ出席会員数  出席率
      17       16       13       1        0    81.25%








<メークアップ報告>
 第5回例会(通算第306回例会)にメークアップされたのは、
 1名(地区内1名、地区外0名)でした。

   馬渡 浩志さん  (都城西RC)
  

今月の誕生者


8月誕生日を迎える会員は、以下の3名です。
お誕生日おめでとうございます。

松岡 高史さん  1日
松下 新平さん 18日
柴田 伸久さん 29日



今週の例会の質問と課題

今週の例会の質問と課題は・・・

例会の質問

第6回例会例会(通算307回例会)

8.040. クラブ提出の決議案を地区で承認
クラブが提案する決議案は地区大会、地区立法案検討会、RIBI 地区審議会、または第
12.050.節の手続にできるだけ沿った形でガバナーの実施するクラブ投票によって、地区の承
認を受けなければならない。事務総長に提出される決議案は、承認されたことをガバナーが証
するものとする。


上記は、国際ロータリー細則第8条に書かれていることを
知っていましたか。

例会の課題(感想)

Q1,Q2,Q3の質問からお好きな項目を選んでお書きください。

Q1)「メインプログラム」についてご意見・ご感想。/

Q2) 例会に参加された感想、会長挨拶、委員会報告等についてのご意見・ご感想。/

Q3)近況、日常の何気ない出来事などを自由に。/


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