国際ロータリーテーマ 「ロータリーは 世界をつなぐ」
RI2730 目 標 「クラブの活性化に努めよう」
2730ジャパンカレントロータリーEクラブの2019−2020年度第11回例会(通算231回例会)を開催いたします。
10月は「経済と地域社会の発展月間」です。貧困地域の経済発展に地元団体を含む地域ネットワークの向上、雇用創出、支援が行き届いていない地域社会での貧困の削減、経済と地域社会の発展に関連した仕事に従事する事を目指す専門職業人の為の奨学金支援を強調する月間です。日本では特別に「米山月間」で米山奨学事業の意義を深く認識し、寄付金を募る活動をする。奨学会の目的及び事業・寄付及び表彰制度・奨学生の資格などを理解しましょう。
色んな紛争が世界経済に影響が発生させるし、世界平和には相手国を知る事(友人を作る)で我が国で将来を担う海外の学ぶ者を支援する「ロータリー米山記念奨学会(勉学・研究の為に日本に在留している私費外国留学生に対し、日本全国のロータリアンからの寄付金を財源に奨学金を支給し支援する、民間の奨学財団)」で、将来母国と日本との架け橋となって国際社会で活躍する優秀な留学生を奨学する事を目的としています。優秀とは「学業への熱意と優秀性はもちろんで、異文化理解とコミュニケーション能力」への意欲や能力に優れている点が含まれる。それとロータリークラブを通して日本の文化、習慣などに触れ、社会参加と社会貢献の意識を育て、将来ロータリーの理想とする国際平和の創造と維持に貢献する人となる事が期待されます。
台風15号で朝日新聞デジタル記事によると、停電が長期化する千葉県や国の初動の遅れが目立って、県内では通信の不通により被災した自治体との情報共有が後手になり、職員派遣や被害の把握にも遅れが有り、関係省庁の対策本部の設置は数日後で、専門家は「深刻な被害を長期化させた」と指摘している様で、停電や通信障害で一部自治体の機能が麻痺寸前になっていて、情報が届かない事の怖さを実感しています。台風通過後の南房総市では発生翌日の10日、停電で市役所の全固定電話が不通になった。携帯電話やインターンネットもつながらず、11日午後には防災行政無線も使えなくなった。被害の状況も把握できず、市民に避難所や支援物資の受取場所も伝えられなくなった。市内幹部は「手足がもがれた状態だった」と有りました、市町村が被害状況を報告できずに県が職員を派遣したのは12日夜、いずみ市に1人。南房総市には13日になって1人を派遣した。この間、
熱中症の疑いがある被災者が増え続けており、被災地の環境は厳しさを増していた。県の担当者は「医療機関の停電や断水への対応、自衛隊への災害派遣要請で手いっぱいだった」と言ったそうです、被害の正確な情報が早く集約して対応する事ですね。
民間(アマチュア無線家)でも組織化(通信網のバックアップ)と非常通信訓練を重ねて準備をしたい。ボーイスカウト日本連盟主催「防災キャラバン」が鹿児島イオンモールで10月22日(火)〈即位礼正殿の儀の行われる休日〉に開催されます、防災ゲームに挑戦して子供たちに防災の技を身に付け、体験して防災を考えて貰う場を提供します。
被害を受けられた皆さんには、普通の生活が出来る復興を早く進む事をお祈りします。
米山月間について
米山奨学会委員長 無漏田 幸呼
副委員長 徳重 孝子
10月は「米山月間」となっております。
2018-2019年度の第11回例会(通算189回)において、米山記念奨学事業の「事業の始まり・国際ロータリーとの関係・奨学金の種類・奨学生のその後・学友会の活動について」述べさせていただきました。
「“日本のロータリーの父” 米山梅吉氏の功績を永遠に偲ぶことができるような、何か有益な事業をやろうではないか」との声から「米山基金」の構想が発表されました。
今回は、「米山梅吉の奉仕教育」を「公益財団法人 米山梅吉記念館」のHPより抽出し
て述べたいと思います。
【米山梅吉の奉仕教育】
米山の教育関係への奉仕は 一に青山学院、二に郷里長泉村(町)、三に立教大学に対してのものが主である。
<青山学院>
米山の青山学院への奉仕は大正5年頃には既に見られるが、その根拠は、恩師・本多庸一、小方仙之助への報恩にあったと見てもよい。米山は青年時東京英和学校で学び、渡米して福音会で本多庸一に学びハリス監督の指導を受け、メソジスト教会とは特別の間柄であった。又春子夫人は東洋英和、青山学院高等科卒の生粋の青山出身校友でもあったからである。
当時青山学院は高木壬太郎院長、その下で大拡張計画を企画中であった。交友に勝田銀次郎かおり熱心な協力者、その知友であった米山が協調、しかも乞われて米山はこの拡張募金委員会の委員長に就任した。この結果出来たのが勝田館、専門部校舎等であった。大正10年、高木院長死去、その後任は石坂正信院長、この人と米山は特に昵懇だったので、協力は更に緊密となり、その際の寄附行為改定に際しては米山は理事に就任した。
大正12年の関東大地震はこの学院にも大被害をもたらした。米山はこれより先に故・長男東一郎の記念にと柔剣道場を寄附していたが、この建物だけは倒壊を免れ、ここが復興の拠点となった。米山理事の協力などで、学院はめざましい復興発展をとげた。
昭和7年、学院は創立50周年を迎えた。これを契機に石坂院長が勇退した。この際長年の功労に報いるため、学校が石坂に贈った世田谷区駒沢の住宅付土地は米山の寄贈によるものであった。
「三井の重役さんだから、米山さんはそんな寄附ができたのだ」と人は言う。しかし、米山の偉いところはそれだけにとどまらなかったところであり、この協力は米山の教育論に裏付けられていた。米山は大学としての整備拡充よりも大切なことは、初等教育の充実だと考えていた。
その実践が青山学院初等科の創立であった。校舎は昭和12年に竣工したが、これは米山が全額私財を投入したもので、外からの寄附は一切仰がなかった。
はじめは学院が直営で経営する予定だったが、許可が難航したのでやむなく青山学院小学財団を設立、同財団立「緑岡小学校」として発足した。昭和12年4月、男女各25名計50名が入学した。初代校長は米山梅吉で、その時の経営方針が残っている。今のようなPTAなど一切必要としない独断とも言える自信と決意にあふれたものであった。
① 小学校の費用は完成するまで全部支出する。従って学校後援会、保護者会等の後援団体を認めない。
② 児童の教育は学校の手によって行う。父兄は学校を信じて委されたい。
③ 教師と父兄との関係は児童教育以外に出ないこと。
④ 中途入学は許可しない。優秀児を選ぶこと。
⑤ 言語・服装・容儀を正しくすること。
⑥ 人に迷惑をかけるな、人にされて嬉しかったことを人にもせよ。
⑦ 誠実を第一として虚偽、偽善を嫌う。
少し異論があるかも知れない。方針か校訓か。エリート教育の私学だから出来ることかも知れない。しかし今、少し学校で教師に注意されると子供が抵抗し、親が血相変えて学校にかけこんでくるような教育が作った現状に対していささか警鐘になるかも知れない。
米山はこれにもあきたらず幼児教育に情熱を燃やし、小学校附属として緑岡幼稚園を開園、建設費はこれまた米山が一切担当した。園長には春子夫人が設立者の名目で就任した。園舎は院内のハリス館を整備使用した。2階建洋館階下60坪がこれにあてられた。宗教教育を第一に、英語を第二とし、平和を愛す国際的な人間を育てることを主眼にした。
戦争のための犠牲はこの学校とて例外ではなかった。昭和19年8月、児童殆どの200名は伊豆湯ヶ島の落合楼に集団疎開した。米山はこの頃長泉別邸で病を養っていたが、病躯をおしてこの子らを見舞ったという。更に戦局はここも安全ではなく、翌20年6月には青森県弘前市に再疎開した。青山の学校は昭和20年5月の空襲で、校舎全器材共焼失した。
この学校は敗戦と共に昭和21年青山学院に引きつがれ、青山学院初等部として再興、今に及んでいる。
<立教大学>
米山の次男・駿二は大正15年6月、21歳で他界した。父親譲りの芸術的特性をうけて画家白瀧幾之助に師事し絵画の道を歩んでいた。白瀧の画いた米山梅吉肖像画が残っている。 駿二その時立教大学に在学中であった。先に長男東一郎を失い、又次男に先立たれた米山の苦衷いかばかりだったか、米山は駿二死後7年、次男の母校立教大学に心理学実験室一棟を寄贈した。
<郷里長泉村(町)>
三井を中心とする米山の活動は東京青山邸を核として行われていたが、長泉村には尚本邸、別邸が残っており、米山の郷里への思いは消ゆることはなかった。米山は昭和6年、同村小学校に図書館を寄贈した。この建物は赤瓦屋根の鉄筋づくりで、蔵書約1000冊もすべて米山の寄附であった。村はこれを「米山文庫」と名付け、村が管理、学童のみならず、村民も利用していたと言う。 その後、学校の整備拡大によってこの建物は取り壊された。蔵書は村が管理していたが、年を経るにつれて散逸されて、今はその一部が米山記念館に移管されている。
現在も米山梅吉という名は町の生んだ象徴的な尊名であり、町の「いずみ公園」には米山翁立像と記念碑が建っている。毎年春には、この町は「米山デー」を制定し、何がしかの事業を行っているが、現在も米山記念館へは町内の学童生徒がボランティア活動として清掃に訪れている。平成7年の米山記念館春の例祭には長泉北中の皆さんによる「オペレッタ米山梅吉物語」が上演された。
今年度は財団設立52周年になります。
2019学年度は日本全国で869人が採用され、累計では世界129の国と地域から2万1024人を支援しています。
奨学生の国・地域別の割合は、累計では中国、韓国、台湾が多いのですが、最近ではベトナムの奨学生が急増しております。
日本のロータリアンが蒔き続けてきた「平和の種」が、教育によって多くの地域に広がっていくことを望みます。※Myanmar Rotary Yoneyama Alumni Associationのページに詳しい活動報告があります
※いくつかの写真は「Mon Powerful Youths」さんのfacebookで紹介されたものです