1.奉仕の理想
奉仕の理想に 集いし友よ
御国に捧げん 我等の生業
望むは世界の 久遠の平和
めぐる歯車 いや輝きて
永久に栄えよ
我等のロータリー ロータリー

2.それでこそロータリー
どこで会っても やあと言おうよ
見つけた時にゃ おいと呼ぼうよ
遠い時には 手を振り合おうよ
それでこそ ローロー ロータリー

3.手に手つないで
手に手つないで つくる友の輪
輪に輪つないで つくる友垣
手に手 輪に輪 ひろがれまわれ
一つ心に おおロータリアン
おおロータリアン

4.ありがとうロータリー
富士の高嶺みつめて 地に足を踏みしめ
喜びと誇りを胸に 今もこれからも
ありがとうロータリー
出逢えた奇跡 奉仕の理想に向かって
ありがとうロータリー
分かち合うしあわせ
共に歩もう 未来をみつめて
それぞれのなりわいを それぞれの方法で
歩んできた だから今 新しい道がある
ありがとうロータリー
出逢えた奇跡 奉仕の喜びに向かって
ありがとうロータリー
分かち合うしあわせ
共に歩もう 未来をみつめて
ありがとうロータリー
出逢えた奇跡 奉仕の理想に向かって
ありがとうロータリー
分かち合うしあわせ
共に歩もう 未来をみつめて

ロータリー3分情報 No.10 「新会員のスポンサー(推薦者)」
報告者:研修委員会
ロータリーの定款細則は、有望な会員をロータリークラブ会員に推挙する手続きを明確に規定しております。この推挙者あるいは推薦者は、ロータリアンになる機会が決してないのです。多くの個人にロータリーへの入会を要請してみなければならず、それ故、入会見込者を見つけ出し、招請を行うのは全ての会員の責任です。
推薦者の仕事は単にある名前をクラブの幹事か会員選考委員会に提出するだけでは終わらないわけで、ロータリーでは推挙者や推薦者の正式の責任内容は確立しておりませんが、慣習と伝統で次のような手続きが推奨されております。
推薦者の為すべき手続きは
1.有望な候補者を会員に推挙する前にクラブ例会に数回招待する。
2.この有望な新会員候補者を伴って、オリエンテーション(適応指導)/ロータリー情報の説明会に出席する。
3.最初の月の毎週の例会にて、この新会員を他の会員に紹介する。
4.実施しているクラブの奉仕プロジェクトに関与するよう新会員に奨励する。
5.クラブが提唱しているインターアクトあるいはローターアクト・クラブの例会に出席するよう新会員を招待する。
6.研究グループ交換や青少年交換といった国際的なプログラム活動に関与する機会を新会員に提供する。
7.推薦者は新会員を同伴して隣接のクラブ例会に出席して、欠席のメークアップ手続きを教えると同時に親睦の精神を観察するように仕向ける。
8.推薦者は、新会員夫妻を同伴して、そのクラブの晩餐会やその他の社交的行事に出席するようにする。
9.新会員夫妻が推薦者と共に地区大会に出席するように勧める。
10.新会員が活動的なロータリアンになるのを保証するために新会員の特別な友人の役をつとめる。
新会員が関与したり、結びつきが出来ると、ロータリーと新しい会員の両方それだけ強力になるということです。
ロータリー3分情報 No.10 「新会員のスポンサー(推薦者)」
「自己紹介No10 松元 直美」
奉仕プロジェクト委員長 松元 直美
自分のことをお話するのはとても照れくさいですが、自分自身を見つめるよい機会だとプラスに受け止めて書いてみたいと思います。
私は子どもの頃はとても恥ずかしがりやで、表に出て人前で話すとなると心臓がドキドキして顔が真っ赤になり、人の後ろに隠れるようにして目立たないようにしていました。(今の私を知る人には笑われそうですが、本当です)
何がそうさせたのかというと、3人姉妹の一番上、いつもお姉さんでいなければならなかった、甘えることが苦手で自分を抑えることが多く、自信をもって自分を表現することが難しかったのかもしれません。
しかし、自分の世界はもっていたように思います。
小さいころよく遊んでいたのが「田んぼ」。いつもれんげ畑で白れんげを探していました。れんげ畑に寝転がり顔の横にあるれんげの甘い香りの深呼吸をして大の字になって昼寝をしてみたり、れんげの首飾りを作ってみたり。
また、屋根によじ登って遊ぶことも好きで、屋根に寝転がって空を独り占めしたこともあり、サンタクロースが本当に煙突に入れるのか確かめに行ったこともありました。
両親が仕事に出かけてから、内緒でうめぼし入りのおにぎりと卵焼きを作り、台所のお鍋に残った味噌汁をタッパーに詰めて、家の裏山にあるお地蔵さまに、妹や近所のいとこたちと出かけてお供えしたり、山の探検をしたり・・・・。と、今思い出してもあの頃の空気感がよみがえってくるほど楽しくワクワクするものでした。
そんな時にいつもそばにあったのが「うた」でした。
幼いころから母がオルガンで童謡を弾いていたこと、大きな童謡のレコードをいつもかけてくれていたこともあって、物心ついた時から身近にうたがあり、生活の中に溶け込んでいたのでしょう。誰もいないと思って大きな声で歌い人に聞こえていたことに気が付き、とても恥ずかしい思いをしたことが何度もありました。
恥ずかしがりやではありましたが実は探究心旺盛であり、そのギャップを埋めてくれる心の癒しが大好きな歌だったのかもしれません。
また、小学校の音楽の深田先生がいつもアコーディオンを抱え、学校近くの河原に出かけてたくさんの歌を歌わせてくださいました。目に見える風景や四季の美しさや面白さが童謡と重ね合わされ、私の感性に暖かいものとして育まれていったのだと思います。
そんな私は、小学校の卒業文集に「保育園の先生になりたい」と書いています。
その夢を実現して今に至るのですが、本当の意味で「保育士になろう!」と強く心に決めたのは、短大の音楽の授業で、恩師の寺薗玲子先生のピアノに出会ったときです。
それは素敵なうっとりするほどのピアノ演奏で、その伴奏に合わせて歌う時の心地よさと言ったらありませんでした。
玲子先生の音楽は、私の頭の上から音楽のシャワーを降り注ぎ、足元からは「ザーーッ!」と湧き上がる感動を与えてくださいました。その時、幼いころに母が弾いてくれたオルガン、山道を登りながら歩くテンポに合わせて歌った童謡、深田先生のアコーディオンとみんなで歌った心地よい感覚が一気によみがえり、今まで自分が好きだった音楽と保育士という夢が一つになり、「大好きな音楽を子どもたちに伝えたい!一緒に歌いたい!」という思いが湧き上がり感動したことは今でも忘れられません。
それから私は「児童文化研究部」に入部。人形劇や児童劇などを仲間と創作し、公演をして巡回、様々な地域の子どもたちにお話を届けて回りました。
こうして、晴れて「保育園の先生」になれたのです。
私を受け入れてくださったのは鹿児島市内にある社会福祉法人で、保育園・乳児院・児童発達支援施設をもつ大きな組織でした。ちょうど主任保育士になったと同時に4回目の異動で乳児院へ配属されました。事情があって親と離れて暮らさなければならない概ね2歳までの乳幼児が入所し、24時間体制で養育する家庭と同じ機能をもつ施設。
ここで、これまでにない子どもを取り巻く現実に出会うのでした。
「子供と共に暮らしたいけれど一緒に生活できない親」「生まれながらに愛されることを知らない子ども」「ここに来れてよかった!」と命の灯が繋がったことでほっと胸をなでおろすこともありました。
私は乳児院で出会った子どもたちにたくさんのことを学ばせてもらい、この経験によって自分自身の保育観が大きく変化したように思います。
幼い子どもの豊かな環境は大人が作ってやらなければなりません。それは子どもを産んだ親と私達保育士の役割です。しかしそれが可能でない子どもたちが世の中にはたくさんいて、助けを待っている気がしてなりませんでした。
乳幼児期は、人間形成の基礎を培うといわれます。この時期に一番大切なことは、子どもの欲求を受け止め丁寧に声をかけ、愛をもって応えてあげることで愛着形成を築くこと。それが人への信頼感につながり自分が認められていることや愛されていることを感じることができると思います。
私は、子ども自身が愛されていることを感じられるように、言葉や態度で伝えていくことがとても大事であると思っています。子どものことを思っているだけでは伝わらない、子ども自身がわかるように抱きしめてあげ、大好きなことや見守っていることを伝えていくことが大切です。
そのことで子どもは自分が好きになり安心感をもちます。
自分を好きでいるということが、人とのコミュニケーションの第一歩になると思います。それが基となり様々な環境への興味、探究心が芽生えてくると思います。
私は、保育士という仕事に出会い、これまで子どもたちにたくさんのことを頂きました。子どもたちに何かをしてあげようとか、してあげているとは思っていません。
子どもは純粋でまっすぐで大きな愛をもった偉大なる存在。いつも私達を純真な心で見つめ、幼いころ私たちがもっていた小さな物事にも感動する心や、生きることの喜びを思い出させてくれます。
私には、「世界中の子どもたちの笑顔をつくりたい」という夢があります。偉大なる子どもたちへの恩返しです。子どもたちが笑顔でありのままの姿を認められ、生き生きと生きるために、何か役に立つことができたら幸せです。
ロータリークラブに入会し、一気にその世界が広がりました。
きっとこの夢を思い描いていたからこそ、ロータリーにご縁を頂くことができたのだと思います。
ポリオ撲滅活動はその第一歩。未来の幸せを共に紡ぐ仲間ができたことに、心から感謝しています。どうぞよろしくお願いいたします。